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儀塩 謙信が宿敵信玄に塩を送った塩の道 佐野ー飯田ー空峠ー塩島ー切久保 

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白馬・姫川源流 塩の道    ← 大町・仁科三湖  小谷・千国 →

白馬村、小谷村には、塩の道からは逸れていますが、古くからの人々の生活がある里山集落が、多く点在しています。里山の風土、祭り、民話、言い伝えなども、塩の道により、入ってきたことがらも多いようです。


白馬青鬼集落 塩の道の宿 千国集落からの、善光寺街道が通っいた。左から鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳

コースガイド

佐野坂十二社 / 親海湿原(およみしつげん)

親海湿原・姫川源流ともに、湿性植物の宝庫、姫川は、平成12年13年の一級河川における水質調査では、日本一となった清流

二僧塚

「信州に三佐野あり」と言われ、ここ白馬、高井、更級である。いずれも、西行法師の伝説を持つ。西行の撰集抄には、「信州佐野二僧事」を記している。石仏は、寛政8年(1796)高遠の石工の作。


ガクモ原 / 沢渡沖

「ガクモ」とは、湿性地に生育する、ツルコケモモ(ヤマドリゼンマイの説もあり)の意。尾瀬が代表される、泥炭構造になっていたとのことだが、今は、水田の整備により湿原の面影はない。また、沢度沖と地名が語るように、湖であったことも想定できる。

東徳寺 / 十王堂

東徳寺 戦後、住職が不在となり、廃寺となった。しかし、地元の方々により守らた。不動明王、庚申塔などの石仏がある。
十王堂 石仏に、「御前山像」がある。糸魚川/塩の道・東古道より、塩とともに運ばれてきた。

佐野村中道祖神 / 貞麟寺

道祖神 寛政3年(1791) 双体神祝言像と呼ばれる。
貞麟寺 弘治2年(1556)建立 糸桜樹齢500年 裏山にカタクリが群生する。

飯田城址 / 飯田犬川端庚申塔

飯田城址 天文年間(1532−1555)、仁科氏の家臣、大日向佐渡守の居城で、弘治2年(1556)武田軍・山県昌景により落城し、近接する飯森城(一夜山城)をも落城させられた。「犬川」の由来は、攻め際の時に、水に飢えていた飯田城の犬がわざわざ水を飲みに川へ降りてきたことによる。


長谷寺(ちょうこくじ)/ 飯森飯森一夜城

海口庵 海の口村の塩の道沿いの百体観音がここに集められている。二十三夜塔には、勢至菩薩が彫られている。

空峠庚申塔石仏群 / 牛方供養塔

牛方供養塔がある。牛方さんの供養塔は珍しい。牛方とは、牛にて荷を運んだ人です。1頭の牛に塩を2俵つけた。一人前の牛方は牛6頭を追った。

飯森道標 / 松川

飯森道標 飯森神社の脇に立つ。「右 ゑちご 左 やま道」と刻む。古道塩の道の存在を証明するうえで重要な道標。

姫川の支流松川、白馬大橋より白馬三山。

薬師堂石仏群

薬師堂石仏群
敷地内に足湯施設(無料)があり、塩の道散策の休憩に利用できる。

塩島 / 專念寺 善光寺式阿弥陀三尊仏

塩島城址は姫川を挟んで三方が断崖をなし、戦略的には、塩の道・千国街道を抑え、四ケ庄平(現白馬)を俯瞰(ふかん)する位置、塩島集落の塩の道は、枡形を呈している。専念寺の石仏群に、善光寺式阿弥陀三尊仏がある。

観音原

西国、坂東、秩父の百体観音と馬頭観音187体が方形に並び、脇を塩の道が通る。江戸時代末期の文化年間(1804〜18)高遠石工の作。
右 伝法山 徒然桜。

切久保庚申塔 / 諏訪神社

庚申塔 天和3年8月(1683)
諏訪神社 丑年と羊年(諏訪御柱祭の前年)に信越国境の戸土集落にて行われる薙鎌打ち神事の際、諏訪神社から奉持した薙鎌が境内の「お頭の木」に安置される。敬老の日には、七道の神事が行われる。

おかる穴 / 落倉道標

おかる穴
おかるが霧降宮(切久保諏訪神社)の七面道をかぶり、姑を脅かしたが面が取れなくなり、隠れた穴との言い伝えがある。楠川に架かる瀬田橋は、川幅が狭く、両岸の岩盤が強い場所に架けられている。

落倉道標
「右 ゑちご」「左 やま道」と刻む。楠川瀬田橋から落倉までの道は、白馬村で唯一、古道当時の雰囲気がのこる、古道塩の道です。

落倉小蓮華岳柄山峠小蓮華岳からの眺望

風切り地蔵

落倉の塩の道沿いに風切り地蔵が立っている。小蓮華岳ー落倉ー柄山峠と3体の風切り地蔵が直線上に並んでいる。この直線を東へと延長した地点より、冬至の太陽が昇る。

小蓮華岳の風切り地蔵は首が折れて不明。

写真は小蓮華岳から白馬大雪渓。
店舗写真

information塩の道インフィメーション

塩の道峠窯

〒399-9422
信州長野県北安曇郡小谷村栂池高原623
TEL.080-1160-8288

古道 塩の道 MAP


小谷道の駅にて販売